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皇権と仏法

仏教は6世紀前半頃に百済(朝鮮半島西南部)から日本へ伝えられました。当時、有力な豪族だった蘇我氏一門がいち早く取り入れ、信仰を始めたと言われています。そして、蘇我氏と関りの深かった聖徳太子(574-622)によって日本の仏教の基礎が築かれました。7世紀後半に勃発した内乱の後、隋唐の律令制に倣って、中央集権国家の体制が整えられました。仏教の発展も国家体制の下におかれるようになりました。これを「国家仏教」と言います。

平安時代初期の僧侶空海(774-835)は804年に遣唐使の一人として唐に渡り、帰国後に真言密教を創立しました。密教は加持祈祷によって仏の呪力を願い、鎮護国家という使命を果たしつつ現世利益を追求する宗派で、皇族や貴族に広く信仰されました。また、平安時代(794-1192)には阿弥陀仏信仰や死後に極楽浄土への往生を願う浄土信仰も盛んになりました。

飛鳥時代(592-710)から平安時代にかけて、仏教とその信仰もその時の政策や社会的背景の変化を経て、氏族仏教から国家仏教、貴族仏教へと変遷し、今日の豊かに栄える仏教界が徐々に形成されていきました。

仏教と律令制

日本では600年から遣隋使の派遣が始められ、その後、遣唐使も派遣されましたが、9世紀に廃止されました。外交使節の一員として派遣された人々は、隋唐の法律や各種制度、様々な文化を日本へ持ち帰りました。日本に律令制を確立させる一方で、持ち帰った物品や文化の伝播によって隋唐の文明が広く吸収されていきました。それと同時に仏教の信仰も国策の一環とされ、仏法による鎮護国家という思想に基づき、支配階級によって多数の寺院が各地に建立されました、写経や読経も盛んになりました。

密教と浄土

9世紀に唐へ渡り仏法を学んだ僧侶たちは、仏教の教義を日本に伝えただけでなく、密教の様々な造形物や絵図も日本に持ち帰りました。神秘的で威厳に満ちた密教の絵画や仏像特有の風格と像容は、人々に新鮮な驚きを与えました。10世紀後半になると、『法華経』信仰と西方の極楽浄土に往生し成仏することを願う浄土信仰が平安貴族の日常生活に深く浸透しました。貴族と各地の有力者により次々と阿弥陀堂が建立されたほか、阿弥陀如来像や来迎図なども制作され、一種独特の浄土教美術が形成されました。

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