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江戸庶民文化
の発展と普及

一代で政権を築いた豊臣秀吉の死後、徳川家康が朝廷により征夷大将軍に任ぜられ、1603年に江戸幕府が開かれました。徳川幕府はその実権をより堅固なものとするため、血縁の大名や戦功のあった大名に領地を分配しました。大名の居城は各地方の商業と文化の中心となり、日本国内に大小様々な城下町が築かれました。商業や金融業の発達に随って、「三都」と言われた江戸と京都、大阪が商業と経済活動の要となり、その繁栄は今日まで続いています。徳川将軍家の居城がある江戸の町は18世紀初頭には人口100万を超え、世界最大都市にまで発展しました。

江戸幕府が定めた身分制度により、庶民は武士と農民、商工業に携わる町人に大きく分類されました。各地方都市の経済活動が活発になるにつれて、専門的な技術と豊かな資金を持つ商工業者が勃興し、裕福な都市部の庶民は自分の好みや趣味にこだわりを持つようになりました。庶民の創意が文化の発展を促す最大の原動力となり、独特の都市文化が誕生したのです。

芸術文化の
芽生えと発展

暮らしの中に楽しみを求めた京都の裕福な庶民は、様々な美術品の創作に没頭する者や、職人や絵師の後ろ盾となる者が現れました。例えば、京都で制作された色絵陶器の「京焼」は茶人たちに愛されました。装飾性の高い作品が特徴的な琳派の絵師たちは、絵画に長けていただけでなく、工芸品の創作にも熱心に取り組みました。このほか、中国の明代から清代にかけて活動した文人たちの風雅が江戸時代に大いに流行し、文学のみならず、絵画(南画)や工芸美術、喫茶(煎茶道)など、多方面に大きな影響を与えました。

都市部の庶民の暮らし

木版印刷の浮世絵も日本文化を象徴する作品の一つだと言えるでしょう。浮世絵の世界には江戸庶民の楽しみや空想が満ち溢れています。当時、大人気だった歌舞伎役者や評判の美人、各地の名勝などが浮世絵の題材です。当時、浮世絵は人々の注目を集める、現在の新聞のような役割も担っていました。浮世絵は江戸時代のデータベースのようで、服装や化粧、髪型、社会風俗、人情などが記録された、江戸時代の文化や風習を今に伝える史料でもあります。ありとあらゆる江戸時代の流行が浮世絵として残されているのです。

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